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2009年 09月 25日
こんばんは。
ま、僕も一応は生きているわけであり激怒するような時もあるわけですが、どうにも吐き出すのが苦手で腹の中に溜め込んで消化するのを待ったりします。 長いときは一週間以上かかることもあるわけですが、今のところ何とか人にも物にも当たらずに何とか出来そうで、自分の理性がまだ残っている事に感謝しています。 結論ありきで書くならば、他人の死や不幸に無関心な者は、無意識の悪意に晒されることに覚悟をするべきだ、ですね。 別に聖人君子になれとは言いません。誰だって悪意を持つのが当たり前で、一切の負の感情を持ち合せない人間なんてそれは人じゃない何かだと思います。 だから他者の痛みを見て笑ってられる人が居ても不思議じゃないし、お説教をするような事はしないでしょうね。その人を見て『冷たい人だ』と感想を抱くだけです。 ただ一つ、因果は巡る、とだけ言いたいですね。 他人を笑う者は巡り巡って他人から笑われる。他人を痛めつける者は、いつしかその報復を受ける。今まで無法者として迷惑ばかりかけてきた人が事故で重傷を負ったとしても、可哀想なんて思う人はほとんど居ないでしょう。多くの人は、いい気味だ、なんて言ってのけると思います。 当たり前のことですね。 それと同様に他人が苦しんでいるのに気づかぬ者は、自身が苦しいときに助けを求めても誰一人気づいてもらえない。 個人的な見解として多くの人はせいぜい家族や友人程度の半径しか意識が行き届いていません。それより遠くの助けを求める叫び声なんて、聞こえないし耳を傾けようなんて思わない。 そこに人を傷つける意志なんて存在しない。最悪の場合その無意識が時として悪意となって誰かに突き刺さってることがあります。 そうやって気づかぬ内に他人を見捨て、傷つけ……けれど自分が傷ついたときだけ助けを求める。あるいは助けてくれると信じていませんか? 信じているなら甘い考えだ、と言っておきます。 自身が他者の叫び声を聞こえないのなら、他者が自分の叫び声が聞こえないのが当たり前。 周りの小さな声を聞き、なおかつ行動してくれるお人好しなんて希少価値が出るほど少数ですよ。 自分の幸せに酔って他者の不幸に気づかぬのも結構。ただ自分が不幸側に回ったとき、幸福を甘受している人々は助けてくれないと自覚するべきです。 僕自身はかなりの鈍感でありながら好き勝手して生きてる人間なので、僕自身が気づかぬ内に大勢を傷つけ、また大勢の声を無視したことでしょう。 だからこそ恨まれていると思っているし、路傍の石ころのように朽ち果てる覚悟もあるつもりです。 本日の内容が正しいかどうかは知りません。所詮一個人の見解。 ただ僕が人である限り、無意識に悪意を振り回す。それは事実です。 だからこそ、その報いは受け続けるべきだ、と自分では思ってますけどね。
by naoya0320
| 2009-09-25 22:32
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