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2009年 05月 29日
こんばんは。
押し入れから扇風機を引っ張り出しました。さすがに五月から常に使用するわけではなく、風呂上がりの茹だっている時などに回しています。 あくまで個人的な考え、と前置きしておきます。いかなる思想を批判する意味は無いのであしからず。 『非戦』という言葉は人の本質を美化する為にある、と思うことがあります。 現代社会の日本において戦争は忌避するべきもののように語られるのが一般的です。国と国の争い――突き詰めれば人同士の殺し合いですから、共食いの観念から考えれば忌避するのも当たり前です。 だが現状では、武器を持つことは悪、暴力は悪、軍事力は悪のように、力を振るうことを嫌っています。 しかし人類は、日常的に暴力を振るっています。これは生まれたばかりの赤子以外は全員と断言しても構わないぐらいに。 ただ相手が人ではないだけです。 食料にするために動植物を殺し、自分の身を守るために猛獣を撃退します。僕だって今までに蚊を何百匹と殺してますし、動植物を食している以上は間接的に殺していることになるでしょうね。 相手が人じゃ無いだけで、人は今この時も虐殺し続けているのです。毎分、毎秒、ね。 今現在の『非戦』という言葉は、その一面を隠そうとしているようにしか、僕には思えません。 ――戦争反対、って言うけど、人以外は殺しても平気なわけ? と、思ってしまうのです。 闘争本能は醜く見えるかもしれませんが、人はその一面を抱えています。それを見て見ぬ振りをするのは違うだろう、と。 僕自身、多少なりとも他の生物の死を悼む気持ちはありますが、その気持ちが自分の根幹を揺るがすことはあり得ません。 そもそも他のどの生き物も何かしらを犠牲にして生きていて、その犠牲者を思いやること自体が可笑しい話であり、少しでも疑問を抱いてしまう僕が狂っているだけですけどね。 故に、僕は戦争及び虐殺を否定しません。と言うより、できないです。否定した瞬間、僕は自身を殺さなければなりません。そうしなければ気持ちと行動の矛盾が起きてしまいますから。そんな状態で生きるぐらいなら潔く腹を裂いた方が幾分かマシです。 結局、人は――生き物全ては争い続けることで生きています。 生存枠を賭けた争いです。 それを『非戦』などと言葉を作って、人類の醜い行いを覆い隠そうとするのは、僕から見れば滑稽でしかありません。 どんなに言葉を変えてもどんなに否定したとしても、生き物である以上は戦いを止めることはできない。 止めた瞬間に死ぬことになりますから。
by naoya0320
| 2009-05-29 22:41
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